化学物質過敏症物語

①私の化学物質過敏症について

私は1971年に名古屋市で生まれた。生後2週間で住み始めた新築家屋で私は化学物質過敏症になり母はうつになった。私が10代のころ、母はあの家が嫌いだったと言っていた。二人の姉は不妊症になった。姉二人は今も化学物質過敏症を理解しないが恐らく母も姉たちも化学物質過敏症の軽症だと思われる。私は化学物質過敏症特有の平衡感覚が悪く、感情を制御できない子供だった。高校時代に化学物質過敏症がひどくなり症状を訴えたが、誰にも聞いてもらえることはなかった。17歳から20歳まで私は地獄にいた。この経験は以後20年間、ただ一人ロンドンでヨガを教えてくれたベンを除いて誰にも話す事はできないトラウマだった。トラウマを誰か一人に話す希望を持っていたが、その経験を表現できる言葉を見つけられることは無かった。地獄を表現する言葉はこの世にはないのだ。私は自分が呪われていると思った。宮田教授から診断を受け化学物質過敏症を支援することになるなんて夢にも思っていなかった。高校は単位が足りているとは思えなかったが公立のエリート校は私を卒業させた。追い出されるように家を出て、18歳から30歳まで名古屋を離れた。もし家を追い出されなかったら家族を殺していた可能性が大きかった。そして私は精神病院で死んでいただろう。

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